家族の命日だった。
あの日、俺の心は止まった。
考えることが、難しくなった。
そのあと、あの女に心を殺された。
思い出すことさえ難しい昔のこと。
あの女の、顔も、声も、
思い出そうとすると、意識が遠くなる。
他のことに意識がいく。
本能的に、拒絶しているんだと思う。
色々な人が、助けてくれた、と思う。
ぼんやりと思い出せるのは、
箱庭に来て、
鳥かごという療養施設で過ごしたこと。
靂(レキ)が、ずっとそばにいてくれて、
一緒に箱庭で働こうと言ってくれたこと。
葬(ソウ)が、いつも優しく見守ってくれたこと。
長が、いつも心配してくれたこと。
ここにきて、10年経った。
高校を卒業できたことも、
火の組で働けることも、
国に守られて呪術をした人間を殺処分
できる権利をもらえたことも、
全部、自分の意思が叶った出来事なのに。
素直に喜べなかった。
家族は、戻ってこない。
父さんはきっと、喜ばない。
命日になると、体が覚えているのか
毎年心が荒れてしまう。
何をしても上手くいかず、
感情を抑えることに苦労する日。
苦しむ燃黄(モエギ)を抱いて看取った感触が、
腕に蘇り、怖くて集中できない。
思い出せないことが多いのに、
苦しむ幼い妹の最期は鮮明に覚えている。
それが、とても悲しかった。
どれだけ感情に出さないようにしても
思っている以上に俺は分かりやすいらしい。
いつもこの日は、みんなが俺に優しかった。
今日は仕事がない。
ロイさんが、男衆で繁華街に
飲みに行こうと誘ってきた。
「たまには良いだろ?息抜きだよ」
いつもみたいにヘラっと笑って
俺の肩を抱く、元警察官。
この人も、恩人のはずだ。
俺の過去の事情をちゃんと知っている。
何度も聞こうとしたけれど、
「過去に縛られるのは、良くないんじゃない?
お前は特にさ、今に集中した方がいいよ」
と流されてしまうから、諦めた。
飲みに行こうと色々な人を誘った。
葬は実家に帰るからと、断られた。
大学組は試験が近いからと断られた。
結局、ロイさんと靂とサクと俺。
仲の良いいつものメンバーで居酒屋に向かう。
サクは、いつも以上に饒舌で、
とても楽しそうにしていた。
「朱さん!何食べますか?」
「朱さん!何か飲みますか?」
「朱さん!これ、俺のおすすめっす!」
ことあるごとに俺に話しかける後輩。
…物凄く気を遣われている。
サクには、過去のことも、
今日が命日だと言うこと話していないはずだ。
それでも俺の異変に気づいてくれる。
毎年。
サクには特殊能力がある。
人の感情を醸し出す色(オーラ)
がくっきり見えて、読み取れる。
超感覚的知覚というらしい。
彼はその能力で、ずっと苦しんできた。
見たくないのに、目の前の人の感情の色が
見えてしまう。
自分がどう思われているのか
知りたくなくてもわかってしまう。
だから、人に会うのが怖くて、
学生時代は苦しかったと言っていた。
今は制御を覚えてコントロール
出来ているそうだが、
俺の雰囲気から察したのかもしれない。
意識的に見ないようにしても、
そんな能力のある人間だ。
もとから第六感が鋭いんだろうな。
気を、遣わせてしまっている。
申し訳なくて、
なるべく食事と会話に集中した。
誰かとの食事は、苦手になった。
箱庭に来る前、
家族と過ごしていた頃、
食事はいつも、家族揃ってだったと思う。
叱られても、喧嘩しても、
悲しいことがあっても。
家族で食卓を囲んだ。
だから、それを思い出したくなかった。
思い出せないのに、断片的なイメージが
浮かぶ前に、素早く食べてしまう。
「美味しい」と感じる間もなく。
葬にそれをよく思われていなくて、
よく彼の実家に食事に誘われた。
食べ方のリハビリだと言われた。
「本当は、私が息抜きしたいんだ。
箱庭の食事も良いけど、たまには
家でゆっくり食べるのも良いと思ってね。
朱に付き合ってもらいたいんだよ」
葬はそう言って笑っていた。
ゆっくり食べないと体に悪いと心配されても、
なかなか早食いが治らなかった。
彼の母親、刀千花(ニチカ)さんは
嫌な顔をせず根気よく食事を用意してくれた。
「朱君は何が好き?」
そう笑顔で聞き出しては、作ってくれた。
だから、刀千花さんのご飯だけは、
少しだけ、味わって食べることが出来る。
彼女のご飯は優しくて懐かしい味がする。
安心して食べることが出来た。
食べても、思い出すのか
刀千花さんの笑顔と、
安心した顔で俺を見る葬の笑顔だった。
居酒屋の個室で、4人でお酒を飲む。
注文した品物を、せわしなく運んでくれる
店員さんは、きっとアルバイトだろう。
サクより少し、若い子だろうか。
俺たちがまさか、「呪術や怪異」を
仕事にしている人間だなんて
思わないんだろうな。
元警官で、何事にも動じず笑いながら
こなしてしまうロイさんは、
霊感も耐性も平均値らしいけど、
回復力や恐怖心の無さが人並外れていて
悪霊につけこまれることが無いらしい。
心霊スポットや、忌み地も
「あ~なんかヤバイのいるねぇ」
と、ケロッとしている。
得体が知れない人だった。
面倒見が良くて、優しいけど、
感情や本心が分かりづらい人。
だからこそ、
箱庭で中長が務まるんだろうけど。
俺より先に、鳥籠で療養しながら
働いていた靂と同期だと言っていたから、
箱庭歴はそこまで変わらないけれど
凄く、遠い存在に感じることがある。
店員さんは、ロイさんに向けて、
品物を持ってきたことを声かけする。
一番話しやすく、ちゃんと
皿を受け取ってくれるからだろう。
靂の見た目にビビりながら
そそくさと部屋を後にする。
ここの店は、メニューが豊富だ。
火の組は、時々取り憑かれて暴れたり
発狂してしまった人達を相手にする。
凄まじい力で襲ってくる人への対人術が
必要だったり、体力勝負な部分がある。
ヒナや乙桃は、そういう場面では
避難誘導がメインだし、
バイトの双子はそれぞれの特殊能力が
強いから鍛えなくても対処できる。
ほぼ一般人の俺と、視覚以外は俺と同等の
サクはとにかく身体を鍛えて、
そんな人達の暴走を止める役割しか、
火の組では役に立てない。
だから、とにかく食べて、身体を
大きくしたい気持ちがあった。
食べることは苦手だけど、
栄養はつけたい。
だから今日も頼むものをどんどん食べた。
アルコールが入って饒舌になったロイさんに
どんどんお酒を勧められる。
出されるまま飲んでいく。
特に、考えもせずに。
ほぼジュースみたいなカクテルが
体内に浸透して、蓄積されていく度に、
鼓動が早くなり体が熱くなる。
それでも、やめられなかった。
「お前ペース早いじゃん、意外だわ」
ロイさんが嬉しそうに俺に絡んでくる。
「でも、呑みすぎだと思いますよ!
朱さん普段お酒呑まないから身体が
びっくりしちゃってますから!
もうそろそろ終わりにしてください!」
サクがロイさんにクレームをいれる。
「わかったわかった!
確かに今夜はよう呑んでたねぇ。
そろそろデザートにしちゃう?」
ヘラヘラ笑ってロイさんが
メニューを広げ始めた。
3人がデザートを選んでいる間、
アルコールで少し感傷的になっている俺は
過去を鮮明に思い出していた。
一緒に逝きたかった気持ちも。
命尽きる瞬間まで苦しみ抜いた家族のように
痛みで、気を紛らわすことさえも
許されなかった。
不安や焦り以外、身体に痛みはなかった。
長曰く、俺は人より霊障を受けない
体質だったそうだ。
だから、呪人と化したあの女に
…色々されても身体面は平気だった。
この体質が俺ではなく、
青狼や燃黄なら良かったのに。
そんなことを、本気で考えてしまう。
もう考えても仕方ないのに。
グラスに残ったアルコールを
飲み干して、ゆっくりイスに身体を預ける。
眠たくなってきた。
「朱~デザート選べ?」
ロイさんにメニューを渡されたが、
眠さと熱さと鈍痛で無視してしまった。
「おいおい急に潰れるなよ~」
そう笑いながら、お冷やを頼んでくれた。
…情けないな。
大切な人達の命日に向き合えなくて、
断片しか思い出せなくて。
自分をセーブすることもできず、
呑みすぎて溺れている。
父さんは、こんな俺を責めることもなく
毎年一人でお墓参りをしているのに。
一度も俺に、一緒に花を供えに行こうと
誘ってこなかった。
「ゆっくりで良いんだ。
朱がそろそろ行けるかなって思ったら
その時は父さんを誘ってくれな。
それまでは、父さんがちゃんと
朱の分までみんなに報告するなら」
そう切なそうに笑う父さんに、
俺は頷くことしか出来なかった。
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